自分の価値は他者が決める「からこそ」だったりもする。

自分自身の価値は、自分には定められない - 狐の王国
 ブクマコメも少し書いたが、ちょっと書ききれそうにない量で追記を思いついたからトラバで。


 ブクマには「他人の価値を求めない」ってのと「無価値という自己評価に耐えられない」というのと書いたが、もう一つ「ポジティブ評よりネガティブ評を見てしまう」という人達もまた存在するんだよなあ。
 即ち「お前の記事/作品に価値はないよつまらないよ」という評価をいくらか、下手をすればほんの僅かでも聞いてしまうだけで、その他がどれほど価値を説いても「でもこっちの人達がダメっていうから」と萎縮してサイトや作品を消してしまう、というパターン。
 実際、ノイジーな批判者に突撃されて閉鎖、なんていうのもよく聞く話なわけだが……そこまででなくても、結構ちょっとしたことで思い詰めてしまう人ってのはいるもんなんだよな。
 事によったら、ちょっとサイトカウンタの進みが悪くなってしまうだけで、或いは拍手コメなんかが目減りするだけで「もう自分に価値なんて無いんだ……」と思ってしまう人もいるかも知れない*1。現実的にはそうそう継続的にコメを送れる人ばかりではないし、カウンタだって最悪回り続ける以上は固定客がいるものという判断が出来るはずなんだけども。
 アーカイブとしての価値もあるはずだ、という意見についてもまた同様で「どこかで誰かが自分の残したものを見て(悪い意味で)笑っているかも」という思いに囚われると、やっぱり白紙化したくなるものだったりするわけだ。*2


 まあこれも詰まるところは「無価値という自己判断」が下敷きにあるからこそ起こりうる話ではあるんだけども。ただいずれにせよ、必ずしも関係性を軽視するがゆえってわけではないとは思うな。


 ……しっかし個人的にはタイムリーなエントリだった。なんせ正に最近ヤゴの穴の人が失踪したばかりだからなあ……あの人も結構不安定そうだったんで、いつかはそうなるかもというのはあったにはあったが。

*1:というか僕自身そういう傾向があるのでカウンタは端っから置かないことにしてるし

*2:「なら始めっからwebに上げるなよ」などと言おうものなら「だから全部消したよ!」が帰ってくるだけだしな